創立50周年を迎えて
「あさかホスピタル創立50周年」を祝福し心よりお慶び申し上げます。
ひとりのOBとして、また一理事として、ここに拙文を寄稿させていただくことになりました。まことに光栄に存じます。
40周年の節目からまた10年がたちました。一日として同じ日は無く、とても貴重で厖大な日々が累積されてきているのに、それがつい先日の事のような、また随分昔の事だったような錯覚に囚われそうです。
この10年、あさかホスピタルの弛みない着実な取組は、確実に地域に根ざし、進歩を促し、よりよき発展をもたらしてきました。
自然環境や社会情勢もまたそれぞれに激変して複雑な変動、変革の様相をみせています。
昨年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の連鎖的大災は、あまりに鮮烈で、重災で大規模で、以前の事々が遥か遠くかすんでしまったような気がします。
この機に当たり、半世紀を経た当院の足跡をしっかり振り返ることにより、また今の患者さん達の姿を改めて見詰め、その声を受けとめ咀嚼することから、これまでの歩みへの評価、又今後の課題が自ずと見えてくる様な気がします。
2004年3月、私は管理職を辞し、外来受付のお手伝いをさせていただいています。そこで多くの患者さんやご家族の方々と接し、話し合う中から、言葉、態度、仕ぐさ、気分が以前に比べ大きく変化している事に気が付いています。とりわけ印象に残ったことは、東日本を襲ったあの大震災の日、院長先生の美事な判断と適切なご指導のもと、全職員のチームプレーによって突発の大難を無事克服したことです。院内の患者さんはもとより、関連施設の皆さんも、全員が安全に急場を凌ぎ切り大事に至らなかったことでした。
「本当に怖かったよ。でも職員さん達がみんなを一生懸命世話してくれて助かりました。もう大丈夫です」とこれは一患者さんの生の声です。逆に、「お家は大丈夫だったの?」と次々に声を掛けて下さった患者さん達でした。
昨年小児科が新設され、子供さん達のあどけない笑顔と言動が院内を明るくしてくれます。「お早うございます」の丁寧な挨拶から、「さようなら、またね」の手のひらタッチの暖かい感触まで、心が洗われ、和みます。
「うちの主人、この病院で、真夜中歌をうたいながら、急にあの世に行っちゃったの。この病院には本当に感謝している」と豪快に笑いながら話してくれたおばあちゃん。
「きょうは、2時間も待って、たった2分の診療よ」と目許が笑っているご婦人に「きっと病気が治っているってことね」と言うと「そうね、またくるわ」と笑顔いっぱいで明るい雰囲気を残して帰られました。
先日、院バスに乗り合わせたKさん、病院とはほぼ半世紀に及ぶ付合いです。現在は就労で給食の仕事をしています。病院と共に歩み、生きてきたKさんの姿や言葉の端々から50年の歳月の重みがひしひしと感じられました。現在多くの人達が、アイ・キャンの支えを受け、また訪問看護や地域ネットワークの中でKさんのように社会復帰を目指しています。
あさかホスピタルが、地域の中に更に大きく根を拡げ続けていることは、この上なく誇りに思います。
佐久間院長先生を中心に、院内外の全職員がチームワークの絆を強め、患者さん独りひとりについて確かな情報を共有することで、社会復帰、復活の大きな手助けとなるよう、又、地域社会の発展に更に貢献できるよう、ますますのご活躍をお祈りいたします。